maximam271828’s diary

あなたの人生に少しの砂利を

幸せになる最も簡単な方法は不幸になることである。

お金欲しぃ〜!!!と思っていた時代が私にもありました。

てか、今もお金は欲しいですが、絶対に欲しいものではありません。と自分に言い聞かせております。

 

 私はお金を持つことが現代における”幸せ”レベルの一つとして考えている人が多く、その軸を元に社会が回っていると感じています。今回は頑張って様々な視点で考えてみたいと思います。

 

なぜ私はお金が欲しかったのか

 まずこっから考えてみようかなと。おおまかに三つの要因が考えられます。

  • 収集癖
  • 様々な物欲
  • 外部環境

収集癖

 まず収集癖ですが、皆さんどうでしょうかなにか少しでもプラスの感情を持ったものを手に入れた時(ex.栞、おじいちゃんの持ってた記念コイン)、無性に全種類、同じ種類であってもより綺麗で珍しいものを集めたいと思いませんか?そして仮に周りの人が自分より持っているとそれに対抗して集めたくなりませんか?ということです。純粋に幸せなど考えず、人間としての性質として”収集”していたのだと考えています。これを仮に生物的要因としましょう。

 

様々な物欲

 次に物欲ですね〜これはお金を集めることが目的にはなっていません。お金を使って何かをする。つまりお金を集めることが手段になっているわけです。美味しいものを食べたい。かっこいい車に乗りたい。よりいいプランでマッチングアプリをしたいなど様々な”物欲”のためにお金を集めるわけです。またお金を消費することが好きな人もいます。これも結局、快感を味わいたいだとかストレスを軽減したいとかが目的なので、お金は手段になっているわけですね。これを仮に副次的要因とします。

 

外部環境

 最後に外部環境です。お金を集め始めるきっかけとしてお金の価値、利便性を他者から教えていただくことが多いです。たしか私がお金すげーと思ったのは父が5円のお釣りをもらいわすれたということではるばる40㎞の道のりを休日1日潰して運転していったことですね。「ガソリン代5円超えてるやろ..」と思ったのは言うまでもないですが、合理的判断をできないようにしてしまうのがお金というわけです。さらに前述しましたが、他者との比較にさらされます。やれ年収は?とかお年玉は?とか家賃は?とかでマウントを取り合うわけです。承認欲とか自己顕示欲とかなるのでしょうか?

 

 私は長らく以上の要因に振り回されまくっていたのです。自称”堅実”のケチな父と、多少ギャンブラー気質のある母のもとに生まれ、お金について考えることがたくさんありました。お金に関してしっかりしているという意味で、とてもありがたい環境だったと思っていますし、心から感謝しています。

 

 さて長々と書きましたが、ここからが本題です。”幸せになろう”ですね。前置きですが、ここでの幸せはお金を多く持つことと定義しています。悪しからず。

 

 皆さんにとって様々な”幸せ”の定義があることは重々承知ですが、”幸せ”を”感じる”方法は1つしかありません。

 自身の想定する幸せ経験を上回ることです。

 どういうことでしょうか。例えばお給料で考えてみます。最初時給1000円ねと言われて働いていたとします。仕事が初めての人はこの時給1000円という薄給でも幸せを感じることができます。それは自身の時間がお金に換算される経験は初めてのことであり、もしかしたら1時間の労働が思っていたよりもきつく(/楽で)時給1000円という幸せ体験への想定を超えているからです。次に仲良くなったバイトの先輩にジュースを奢っていただく経験です。これにより換算時給1000円分の幸せが>1000円となります。それと同時に時給1000円分の幸せの価値が元々の時給1000円分の幸せより小さくなります。そして様々な要素によってではありますが、この工程が延々と繰り返されていくのが日常ではないでしょうか。無人島に放置されたネズミはここで共食いによって得た経験を本能として覚えてしまうのですが、人間には”忘れる”という能力があります。上記の工程によって無限級数的に膨れ上がった”時給1000円”の価値を元の価値に近い価値に戻すことができるのです(ややこしくなってきました。)。このありがたい能力のおかげで人間は半永久的に幸せを感じることができるのです。

 

 ということで私が学んだ幸せになる方法は、”生活レベル”を上げないでおこう!ということです。この文字だけ見ると不幸せに見えますがそうではありません。頑張ることが当たり前の世界で頑張らないという選択をしてみるのも頑張ることになるのではないでしょうか。