maximam271828’s diary

あなたの人生に少しの砂利を

2.母の偉大さ

人間失って初めて気がつくものである。

 何事にも言えることではあるが、人間大切なもの、ましてや当たり前のものを失って初めてその存在の価値を認識するバカな生き物である。1.父の偉大さに続き、母の偉大さについて皆さんは言語化するのが恥ずかしいようなので私が代表して言語化しようと思う。

母の偉大なところ

  • 私を生んだこと。
  • ここまで私を育て上げてくれたこと。
    • 掃除洗濯、弁当作り、毎日の献立、話し相手として。
  • 様々な情報が蔓延る中で、真っ当な女性像を示してくれるところ。
  • いつでも味方でいてくれるところ。
  • 利害関係なしに怒ってくれるところ。

他にもまだまだたくさんあるが、私の拙い語彙で言語化できるのは以上のことである。

・私を生んだこと

 この文字だけを見ると傲慢かもしれない。「お前の偉業は私を生んだことだ!」的な。もちろん私が言いたいことはそういうことではない。私は様々な経験をし、失敗をし、成功し、悩み、喜んできた。が、そもそもこの感情の機微も、経験の元となるこの肉体も、父と母が(母と父が)出会い、私という存在を産んでくれたおかげで成り立つものである。言葉にするのは難しいが、私が存在する、させてもらえていることに感謝しているのである。当時は今ほど子育ては大変だという論調はなかったとは思うが、それでも子供を有無という選択をしてくれたおかげで今の私がある(月並みな表現だが)。ありがとう。

・ここまで育て上げてくれたこと

 実際は幼い頃から、お手伝いと称し、様々な家事をやらせてもらっていたため、その頃から専業主婦の母は本当にありがたいと思っていたが、身に沁みて、本当の意味でありがたさを理解したのは大学に入り、一人暮らしをし始めたときである。一人暮らしのため、放っておけばどんどん部屋は汚くなり洗濯物はどんどん溜まり、水周りは異臭を発し始め、そのせいで掃除が嫌になり...といった悪循環である。良い生活は良い住環境からとはよく言ったものだが、まさにその通りで汚い部屋で過ごすと全てにおいてやる気がなくなる。「俺の部屋勝手に入らんといてよ!」と思春期のときに反発せず、むしろそこに一種の喜びを感じていた変態野郎であったが、それに苦笑いくらいで付き合ってくれたお母さんありがとう。今は頑張って部屋をきれいに保っています。

・食事関連

 本当にすごい、大学に入って遊ぶお金や交通費、交際費などをやりくりするために食費の重要度は下がってしまい、つい偏った献立になってしまうのだが、母親はすごい。私の家庭が一般的なのかどうかはわからないが、1ヶ月同じ夕食が出ることはなかった。それに加えて、朝は6:00、昼は12:00、夜は19:00ぴったりに食事を開始できるように準備してくれるため、生活リズムを崩すこともなく健康的な生活を送る大きな助けとなっていた。部活引退後も同じ量の食事が出てきていたおかげで太ってしまったのは、一緒にダイエットしましょう笑。いつも美味しいご飯をありがとう。

・話し相手として

 私は男の子としては特殊?な方らしく、自分の生活の上で起こったこと、感じたことは包み隠さず母親に話していた。周りから仲のいい親子という判断を頂くことができるという打算が全くなかったというわけではないが、一つのアドバイスとしてよい相談相手である。幼い頃は事実と自分の感情をごっちゃにして伝えたり、自分に都合の良いことだけを伝えるなどして、母が学校に文句を言って逆に怒られるということがありましたね、その節はご迷惑をおかけしました。いつも話を聞いてくれてありがとう。

・真っ当な女性像を示してくれるところ

 最近SNSなどで様々な情報が飛び交っている。有名なのであれば奢る奢られ論争などの"蛙化現象"だろうか。母は言っていた。高いレベルのところに身を置くと高いレベルの人と出会うことができると。女性も歳を取れば”女性”という要素を除いた自分自身の価値がわかってくると。何がなんでもこの人のために時間や資本を使いたいという人に出会えると。そういう人に出会えたらな〜。自分磨きします。アドバイスありがとう。

・いつでも味方でいてくれるところ

 どんなときでもそうですね。子供の頃喧嘩したときも、花瓶を割ったときも、私が嘘をついているとわかっている時でも味方でいてくれました。ただ、何が良くて、何が悪いかをいつでも事細かに向き合って教えてくれました。”どうしてついてもいい嘘があるのか?”という疑問を投げかけたときには夜通し一緒に考えてくれたりして、絶対的なルールのような存在であったけれども、常に子供からも学ぶことを忘れないお母さんは今の私の後輩に対する姿勢の基本となっています。ありがとう。

・利害関係なしに怒ってくれるところ

 めちゃくちゃ怖かった記憶があります。それこそ中学校まではいろんな昼ドラの見過ぎで、嫌われたら捨てられると思っていたし、”怒る”=”私のことが嫌い”と勘違いしていました。全て愛が故、もどかしさが故だったんですね。最近はコンプライアンス重視の社会のせいで怒ってくれる大人の方が減ってきました。礼儀作法を教えてくれる人が減って、両親が教えてくれた”挨拶ができること"ですら私の武器になっています。絶対に店員さんに対して「ありがとう。」とお礼を言う姿をみて私はニコニコしています。いつでも良い見本でいてくれてありがとう。

 

 などとつらつら書き連ねましたが、どうでしょうか。孝行したいときに親は無し。という言葉は皆さん博識なのでご存知でしょうが、行動に移すことができている人はどのくらいいるでしょうか?ありがたいことに父の日、母の日(母の日、父の日)と無理矢理にでも感謝を伝えるイベントはあります。今年何かされましたか?私の両親からすると、元気に生きているだけで十分らしいですが、その両親の感情と、私の感謝したい欲(もしかしたら自己満足かもしれません)は別なので毎年できるだけ2人の喜ぶ顔を思い浮かべて、感謝を伝えるようにしています。