誕生日ありがとうって言いたい。
最近特に自分の誕生日が楽しみで無くなってきた。
というか自分程度の存在が20数年間も生きてしまったことに申し訳なくなっている。
というネガティブな話はさておき、
私は身近な人、少なからず関係を持ち続けている人の誕生日の際、「誕生日おめでとう」ではなく、「誕生日”ありがとう”」と言うようにし始めた。
なぜか。
今、お付き合いを続けている友人は、尊敬している部分が少なからずある場合が多い。自分の人生のスパイスになっている人が多い。私は、そんな素敵な存在で、たまたま私と出会ってくれて、出会うまでに”死”という選択をせず、元気に誕生日を迎えてくれたことに感謝したいのである。
ということで、私にとって誰かの誕生日とは、祝う日ではなく、感謝する日に変わったのである。祝うことは誰だってできる。例えば全く関わりのない自分好みの女優さんが子供を出産しても祝うことはできる。しかし、その”祝い”に何の意味もない。責任もちょっとの恥ずかしさもない。感謝は人によっても違うと思うが、何としても相手に伝えたいと思う感情であると思う。真に感謝する関係性においてその言葉を伝える責任が生ずるものであると私は考えているのである。さらに祝う行為はその存在を±0で認める行為であるが、感謝は>0で認める行為であると私は思う。
相手にとってどちらが嬉しいか、後者である。
いつも稚拙な文章を読んでくれてありがとう。20記事書かせていただいてありがとう。