maximam271828’s diary

あなたの人生に少しの砂利を

指摘と叱り

 私は幼い頃、親や先生に指摘、注意された際に「怒られた」と思っていたし、そう他者に表現していた。もちろん親は、期待があまり感情的になってしまうことはあったとは思うが、大人が子供に対して本当に感情をむき出しにすることはないだろうし、年齢を重ねるとなおさらである。

 しかし、親であれば子に対する期待が故、教師であれば普段の業務の疲れからが故、どうしても感情的に"叱って”いるもしくは子供がそう捉えてしまうということがしばしば起こる。

 するとどうなるか..子供には反省の気持ちではなく、怒られて嫌だったという感情しか残らないのである。そういう教育をされてしまっている子供に今日は何があったのか?という質問をすると、「今日怒られた〜」としかいわないのである。かたやそうでない子供は最初「今日なんか言われた」から「あの人が言ってた〇〇がわからへんかった」そして「こういうことを言っていたんだ!」になるのである。極論である。

 

 あるバレーボールの漫画で怒りは他のどの感情とも共存できないというセリフがあった。つまり最初の方に書いた親の”怒り”、とか先生の”怒り”は愛情からきているのではないということである。出発点は愛からかもしれないが怒っているその時は”怒り”の感情に支配されているのである。これでは思いが伝わるはずもない。

 

 もしかしたら子供は「怒られた」と言いつつ、「あいつ怒りの感情に支配されていた」と嘲っているのかもしれないとふと思った今日この頃である。