maximam271828’s diary

あなたの人生に少しの砂利を

遊具がおもんない

 最近公園に立ち寄ると、砂場に柵があることが多い。

 私の一番公園で遊んでいた時はもちろん砂場に柵はなかった。し、ジャングルジムやよく膝を強打したり、頭をぶつける遊具があったし、滑り台は逆走するものだと思っていた。またコンクリートの壁があり、よくサッカーボールやバレーボールで壁打ちをしていた。

 今、少なくとも通常状態で危険がある遊具は全くと言っていいほど存在しなくなっている。私は公園の遊具で事故が起きたときの責任の所在は存じていないが、事故とはいかなくても怪我ましてや膝が腰まで上がらない大人目線で危険な遊具に対してクレームがよく入るようになったようだ。というか、今までも入っていたのかもしれないがそれによく対応するようになっている。

 例えば砂場に柵を設ける理由は、犬、猫、その他の野生動物が侵入し、糞尿をすることを防ぐことやガラスの破片などから子供達を守ることを目的としているそうであるが、これって親の仕事じゃないのだろうか?もしくは子供達がその”リスク”を経験し、いい思い、悪い思いをし、学んでいくものではないだろうか。昨今、社会が複雑化し、様々なリスクが潜んでいることや、共働きの家庭が増え、監視の目が行き届かなくなっていることは理解するが、それは子供たちの”経験”や”成長する機会”を奪ってはいないだろうか。

 現実問題、親の目が届かず、そのために仕方がないという意見は100歩譲る。が、公園に一緒についてきて、スマホに齧り付き、問題が生じれば、管理元の責任というのはお門違いではないか、自分の子供達が危ないことをした時に、その公園にいる”おせっかいな”大人が注意してくれることに逆ギレすることは、果たして”個人主義の台頭”と単純に片付けて良いものだろうか。

 最近の若者は、想定外のことへの対応、上司からの指摘に非常に弱いとされているらしい。これを若者たちの責任と捉える”おとな”は多いだろうが、今まで記述してきたことを考慮すると、そういった能力を育む場を”子供たちのために”という建前で奪っているのではないか。大概の場合”子供たちのために”とする”おとなたち”の目的の本筋は”子供達のため”であることは少ない。危険=スリリングな遊具をなくすことの本当の目的はうるさいガキたちを公園に来させないことなのではと、薄々勘づいていたりする。