maximam271828’s diary

あなたの人生に少しの砂利を

「気持ちが悪い」と思ってしまうことについて

 私は虫に対して気持ちが悪いという印象を持ってしまう。ゴキブリだったり、蜘蛛に対してだけでなく男の子の憧れ、カブトムシやクワガタムシに対しても気持ちが悪いと思ってしまう。当時この気持ちを明言した際に言われた言葉は

  • おんなやん!
  • 可愛い子ぶんなや!

と周りから言われていました。つまり「気持ちが悪い」と思ってしまうことに対して否定されていました。この時の自分の反省点としては気持ちを明言してしまったということになるのでしょうか?この場合、主たる相手は虫であり、サブの相手としてその虫を好きもしくは嫌いではない友達の気持ち、だと考えます。あくまで食べ物の好き嫌いと同じであり、嫌いな人がいても当然なのかなと思います。ピーマンが嫌いと言って、食べられるようになったほうがいいと言われることがあっても、お前は間違っていると言われることはないでしょう。

 となると、話がかなり大きくなりますが、人種差別に対してはどうなるでしょうか?世間的な考え(特に日本において)はもし仮に私たち黄色人種が「肌の色が黄色いから気持ちが悪い」と言われるとそれは結構な問題になります。それはなぜなのでしょう?

 正直、自分達が見たことない、触れたことのないものに対して、抵抗感やもしかしたら嫌悪感を抱いてしまうのは自然なことなのかなと思います。私たちはその感情を我慢して生活しなければならないのでしょうか?

 未熟な私がこの問いに対する答えを出すことはかなり難しいのですが、「その関係性において何を目的に置くのか」というのが大事になってくるのではないかと思います。仮に黄色人種の方と、白人の方が初対面でルームシェアしていくとなった時、ここでの目的は”共同生活を円滑に行う”ことである。となったときにここで”肌の色が”ということは目的に対してメインの問題ではなくなってくるのではないでしょうか。文化の違い、考え方の違いをすり合わせることが重要であり見たことがないからという理由の嫌悪感を振り回していると”円滑な共同生活”を送ることができないことは明白です。ここで大事なことは肌の色の違いに嫌悪感を持っていても主目的に影響がないのであればとりあえず置いておくということです。嫌悪感を持つことに対しては悪いことだとは思いませんので主目的を果たすことに注力しましょう。

 

 日本では嫌悪感を持つこと自体、悪とされる節があります。これこそ思想の自由を妨げており、人種問題以外にも、性別問題や社会的弱者に対する問題などでがんじがらめになっていることが多くあります。こんなとき主目的は何なのだろうということを考えて、思うことがあってもその目的に対して最短距離のアプローチができるといいですね。