日本の部活動
私は例に漏れず高校生まで”部活動”なるものに属していた。部活動を行う目的は建前上は
- 運動を通して心身ともに健全な成長を期待する。
- 他者との関わりを通して最低限の礼儀作法、他者への配慮を身に付ける。
ことなどだろうか、おそらく部活動を”やらせる”本音は
- 放課後の空き時間も学校に拘束し、非行に走る可能性を減らす。
というものではないだろうか。この本音の部分に関しては自分の意見では無く、実際に中学校で教員をやっている人からぶっちゃけ話としてお聞きした物である。
スポーツだけで無く、音楽系、ひいては放送や書道などの文化系の部活動にもコンクールなどの目標となるイベントがある。つまり”勝ち”、”負け”があり、その内容によって将来の選択が変わってきたりする。かく言う私も中学校高校と、運動部に属しており、”勝利至上主義”で部活動を行ってきた経歴がある。(大した結果は残せていないのだが...)
どんな形であれ”勝利”を欲してしまうものであると思うが、それに矛盾するのが”部活”という考え方なのである。甲子園での登板拒否など様々なところで議論を巻き起こしているが、部活動である以上”勝利”が一番の目的ではないのである。人間的成長、楽しむことこそが”部活動”の目的なのである。この事実について指導者からの目線、生徒の目線の二つの方向からだらだらタイピングしようと思う。
・指導者からの目線
ここでは私立の指導者はまず置いといて、公立の指導者について考えてみたいと思う。一般的にも知られていることではあるが、部活動を指導する際の部活動顧問に支払われる手当は3000円ほどである。休日でもである。果たして自身の休日や時間外労働に対する対価が3000円程度で部活動の本意を全力で達成しようという人がいるだろうか。手当が払われるよりもしっかり休みたいという教員の方が多いというのが実情である。では指導する人は何をモチベーションとして行っているのか。私が運動部であったので運動部を考えるが。自分の育てたチームが「勝つ」ことだろう。的確な指導、斬新な指導を施し、結果を残すことだと考える。そのためには”年功序列”よりも”実力主義”でスタメンを選ぶことは仕方がないし、多少指導に熱が入ることもあるのではないか。そこに「私の子供が試合に出られないのは何でですか?」といういわゆるモンペが現れるとたまったものではないのである。
・生徒の目線
ここでは大きく二つに生徒を分類して考えてみる。
- そのスポーツが好きで、ある程度結果を残すことを考えている。
- 何となく学校の方針で部活に入らないといけないから楽しそうなものに入った。
というふうに分類できるだろうか。