maximam271828’s diary

あなたの人生に少しの砂利を

”個人尊重”という名の”無関心”

 昨今、欧米の文化へのアクセスが容易になり、個性を尊重するだとか、個人主義だとかの考え方が広まっている。よく聞く言葉として

  • 相手を否定しない。
  • 相手を認める。
  • 差別を許さない。
  • ブレインストーミング最高!
  • そういう考え方もあるね!

といった言葉が挙げれられるのではないか。

 本日は”個人尊重”とはなんなのかということについてぼーっとタイピングしてみる。

 

 特に"個人主義”で有名なのはアメリカであると思う。様々な人種の方々が住み、バックグラウンドも宗教も実に多様である。私が思うにそういった自身のアイデンティティの選択肢が多い環境においては自身の”精神的輪郭”をぼやけたものにしていると危険であり、そのため主張というか、確固たる考え方を持つことが生きる上で重要であると思う。

 

 アメリカ人の友人、ダニエル(仮名)がいるが、そのダニエルがいうには「差別の心を持つことは別に当たり前のことであり、問題なのはそれを建前に他人を攻撃することだ。差別をダメだというのはピーマンが嫌いなことを否定することとなんら変わりないよ!僕はピーマン大好きだけどね!ハッハハハ!」というなんともTwitterで呟くと大火事不可避のようなことを言っていた。確かにそうである。

 

 お互いに主義主張は持つべきであり、問題なのはその先である。議論の中で、考え方が変わるのか、譲れないことがあり折衷案を選ぶのか、である。大切なのは戦う方法はあくまで”議論”であるべきで、ライフルや拳ではないということだ。人間には考える力がある。超えてはいけない一線を理解するために必要な教育を受ける環境に関してはほとんどの人が享受できている。

 

 ここで最初の話題に戻そう”個人尊重”という名の”無関心”についてだ。私が住む日本では議論をしよう!という授業は少なく、喧嘩して譲れないことがあっても、とりあえず謝らせる教育ばかりである。これはいわば綱引きをせずに結果を決めている状態であり、思考放棄である。ニュースで見る差別を建前に暴力で他者を攻撃する映像がショッキングすぎて、短絡的に差別や否定することを”否定”してしまっている。

 

 また、相手を尊重する言葉の「そういう考え方/生き方もあるね!」という言葉だがこれは相手の主張に対して最初に出てくる言葉ではなく、最後に出てくる言葉であるように私は思う。相手の主張に対して最初に言うべきは「どうしてそういう風に至ったの?」やもしくは「僕はこういう主張だよ」という言葉である。最終的に納得できなくても、議論を深めてさえいれば、相手の背景、正義に沿った考えであることはわかるはずである。その"背景”や、”正義”を受け入れることはできなくても理解することが”アメリカ流他者の尊重”なのではないかと思ったりする。