「生きる」とは何か?
こんにちは今日も今日とて冗長な分に付き合う決心をしていただきありがとうございます。
最近、将来に対する不安からか、はたまた安易な現実逃避のためかお会いする"大人"の方々に「生きる目的(意味)は何ですか?」という質問を投げつけています。(あえて"大人"という表現をしたことについてはまたどこかの機会で...)
平均的な回答は
・幸せに最後を迎えること。
・子供を社会に送り出すこと。
・考えたことがない。
・言語化できない。
といったものが多いでしょうか。ここでは自分を"人間"とカテゴライズし、そこから連想される生きる意味をゆるく考えてみたいと思います。
・生物的人間
人間も生物だと思うので、本能に意図的か否か、従っているところがあると思います。簡単なのは子孫繁栄でしょう。人類種としては種の保存、個人としては自身の遺伝子を後世に残すこと(後者は少し人間らしさが出てしまっていますが..)です。これを生きる目的とする場合、今の社会はどうでしょう。子供1人を自身が安心する環境で生育するためにはある程度、資金力が必要であり、種の保存の目的に従って何人もの子供を産み自身が安心する環境で生育するとなると(←大事なことなので2回書きました。)、当たり前ですがその子供の人数分だけお金が必要となります。場所も必要ですし、育てるために時間も人手も必要となります。社会の仕組みとして発展すればするほど"人類種"としての目的は達成しづらくなるのでしょう(ex.少子高齢化)。また、特に日本においては子孫繁栄に必要になる行為、に触れることを忌避する嫌いがあります。日本人は様々なコンテンツのおかげで?世界一変態な人種として名高いですが、不名誉なことに男女が仲良しする回数は世界で最も少ない部類ないそうです。
・「個」としての人間
一般的に考えられる幸せとは、生きることにどれだけ豪華な装飾をできるかというものだと私は考えています。もっと食事をしたい、もっと長生きしたい、もっとお金を得たい。などあえて普通に生きられること以上を求めることが、現代人の求める”幸せ”です。とタイピングしてみると、生きる目的(幸せに生きること)を追い求めることは不可欠ではないのです。
某大物お笑い芸人の言葉を借りれば
「生きているだけで儲けもん」
なのである。幸せの刺激はイメージすることはできても再現することはできません。幸せの尺度は、生きる目的は誰一人同じではありません。ただ、皆が自由に目的を設定することはできます。幸せを感じる頻度を多くしたければ目標を下げればいいし、幸せの刺激を大きくしたければ目標を上げればいいのです。
皆さんはどんな幸せを感じたいですか?