エスカレーター止まってみるか歩いてみるか
兵庫県、京都府ではエスカレーターは、左側通行で、それ以外は右側通行らしい。
という言葉はエスカレータには当てはまらないようだ。私の兄は、とても素直な人で、かつては、エスカレーターを、道を塞いでいる人の後ろで、とても大きな咳払いをしてまで通行していたが、今は、急いでいるのであれば、階段で行けという考えになったようだ。
そう、エスカレーターでは立ち止まらなければならないのである。
皆さんもご存知だとは思う。もしくは、みてみぬふりをしてきたと思う。ただ、荷物などで、エスカレーターの”通り道を塞いで”いて、後ろから邪魔だと言われたとき、合っているのは自分だとしても、何だか申し訳ない気持ちになるし、実際に、頑張ってエスカレーターでは立ち止まることが正しいことを説こうとしても、それこそ、ルールを破るほどに相手は急いでいるわけで、最悪、争いになる未来が見える。
優先座席は優先であって、専用ではない
私が中学生の時、ディベートの授業で、”優先座席に座るべきか否か"と今思うと、正気を疑うテーマが与えられたことがある。このディベートの授業において40人クラスで1対39だったのだが(私が"1"だったことはいうまでもない。)、前述の”優先座席は優先であって、専用ではない"この一言で一蹴できるかに思えた。結果から述べると決着はつかなかったのであるが、私は
- 優先という言葉の意味を同世代が理解していない。もしくは理解していても納得できない。
- "ボランティア精神"である”譲る”という行為が学校教育によって"強制”される。
という事実に驚いた。教師からのお題が”優先座席、必要か否か"であれば、もう少し、すっきりとした結末が望まれたのに、教師がおよそ”先生”と呼ぶに値する代物ではなかったということである。
具体的な例をもういくつか思いつきたかったが、今は思いつかないので、また更新したいと思う。
結局、世の中『甘え』で、やらなければならないことが、やった方がいいことになり、やりたくないことになり、やがてやってはいけないことになる。
エスカレータの場合だと、甘えで、親切で道を開けてくれていたことを当たり前に思ってしまうということだろうか。
甘えてもいいが、甘えていない人を頭が硬いと攻撃することだけはやめたい。
2023/10/23 更新