maximam271828’s diary

あなたの人生に少しの砂利を

学歴社会について

 学歴社会問題はしばしば燃えては収まり燃えては収まりしている。どこからか高学歴かなどはさまざまな媒体で発信されているし、学歴に対する考え方は様々である。一般的に高学歴の人のほうがより良い企業につくことができると考えられているが社会は学歴に何を見ているのだろうか。

 

 就活活動を通して、大抵の場合先行で重要視されているのは

  • コミュニケーション能力
  • 論理的思考能力
  • 成長意欲

であると感じた。コミュニケーション能力は巷の「コミュ力が高い」ということより、普通に面接官と対話ができるかというものである。相手の質問に対し1~1.2くらいで応えることが重要であると思う。用意してきたものをどれだけその場で考えたかのように話せるか、1の事実を5くらいに誇張し、嘘とバレないようにはどうするかということも重要である。これは大学でなくても人とコミュニケーションを積極的にとっていれば身につくものである。

 論理的思考能力に関しても同様で普段から周りのものに関心を持ち、疑問に思ったことをそのままにしないという姿勢が大事であり、余裕があるのであれば数値などの背景を交えて考察すれば身につくものである。これに関しても大学でなくても身につくものである。

 成長意欲に関しては就職活動を行なっている学生は自己分析などで考えるだろう。就職活動を志すものならば誰しもある程度は話すことができるのである。これも大学は関係ない。

 

 以上のことを考慮したとき”学歴”とは何の意味があるのだろうか。私が思うに”育ち”や”一般常識”を共有しやすいということである。高度な教育を受けることができる人は大抵、家庭がそこそこ裕福である。教育に資金をかけることに躊躇がなく、子供に対する投資ができる家庭である。ということは礼儀作法や一般常識を教えることも怠っていない可能性が高い。そこで身につけた常識力が企業の求める"普通な即戦力”にマッチするのであろう。その意味で”学歴”によって”常識レベル”のふるいをかけることは効率が良いと思う。

 

 受験勉強での苦労や絶対に学力的に勝てない人との出会いによる挫折などのエピソードを共有しやすいというところもあるだろう。だから学歴以外にもスポーツに力を注いできた人も就活に強いというわけだ。バンド活動とか行なっていた人も。

 

 単に”学歴”というパワーワードに踊らされるのではなくその裏に潜む目的を考えることができれば”学歴コンプレックス”を感じなくても良いのかもしれない。